つけの つぶやき

舞台の話を気ままに。

私の決意文

これは私から未来の私への決意文でもあるから当たり前すぎることを言おうと思う。

 

「誰かのファンになるなら贔屓に絶対迷惑をかけるな」

 

2019年、自分の中で爆発が起こって贔屓が2人増えた。とっても素敵な俳優さんたち。いつもその人が今できる最高のパフォーマンスをくれると確信してファンになった。

そんなタイミングでそれぞれ、ファンの暴走により贔屓が間接的に被害を受ける出来事があった。

別に贔屓が何をしたとかされたとか全然なく、

ただファンの暴走があっただけ。暴走があっただけと気軽に言ったけど、なにか事件が起きて話題になるということは必ず「ファン以外の人もその事件に目を向ける機会がある」ということ。(これはTwitterだから起きる事かもしれないけれど。)

贔屓のそういう事件も結局たくさんの「ファンじゃない人」たちの目に触れた。事件に関係ないことでも贔屓が間接的に色んなことを言われていた。贔屓が活躍する舞台のことについても、関係ないファンたちの事も沢山沢山言われていた。贔屓の性格について話してる人もいた。そして、そういう事件は贔屓=やらかした人 という印象を与えた。

それを実感したのはいつだったか忘れたけど前からお世話になっている舞台オタク友だちに「新しい贔屓が出来た。〇〇さん」と言った時だった。

返ってきた言葉は「ああ、あの事件の人ね」だった。 ショックはなかった。私も贔屓じゃない俳優が同じことをされていたら絶対同じことを言っていたから。

 

「贔屓が迷惑になるかもしれないから」この行動や言動を控えるべきとは思わない。贔屓が考える迷惑行為と私が考える迷惑行為が合ってるとは思えないから。

ただ、「自分の発言や行動により何かが起こった(起こりそうな)時に冷静な対応をする」ために自分の考えや行動よりも何か優先すべきことは何かしらあるんじゃないかなーと。

やっぱりどんな界隈でも「これが絶対的ルール!!!!!これを絶対守らなけりゃいけねえ!!!守らなけりゃお前はファンではない!」ってルールは存在しないし今あるルールが絶対正しいというわけでないけど、今あるルールに反する自分の主張を述べたい時って結局、「自分の推しに対する行動や言動を認めてほしい!」みたいな時に発生することが多いから、その発言や行動が燃えた時、必ず作品や俳優やら誰かしら間接的に被害を受けるわけだし、燃えるといろんな人から否定される (こともある)のだからやっぱり、ぐっと自分の考えや行動を「これでいいのかな?」と考える時間があっても良いのかな?と思った。

あと、何かしら燃えそうだったら一旦「そうですよね、一回考えます」と引き下がることでぐっと論争に発展するリスクが低くなるのではないか?と思う。

 

こんなにタラタラ書いていて何だけども

正直、自分もどうしたらファンとして贔屓に迷惑をかけないでファン活動をしていけるのかわからない。けれど、唯一分かるのは

「公式の注意事項は守ろうな」

ってことです。そこを守らない人はハッキリ「贔屓が迷惑になること」だから。