つけの つぶやき

舞台の話を気ままに。

2019年を振り返って考えたこと

2019年が終わりました。ありがたいことに50本近く鑑賞する行為をさせてもらいました。

1年を振り返ってみて思ったのは、至極当たり前なことを言うと、ファンがするべき事は、「観劇」や「イベント参加」だけであり、プラスアルファの行為である「許可されていないこと」「良いのか悪いのか判断がつかない行為」はするべきではないという事をこの1年すごくすごく実感しました。

 私の贔屓のファン、そして他のファンの話を聞いていても 「これは...」ということが多かった。

ファンの質が直接、他のファンからみた俳優の評価に繋がっているなって何回も感じる瞬間がありました。

 

私も上から目線で話してますが、もしかしたら気づかないうちにやらかしてるのかもしれないけど。

 

愛を受け取る/あげる行為ってやっぱりコミュニケーションが大切だと思う。

私の話なのだけど、誕生日プレゼントの話。送る側が考えてプレゼントする制度からその子に何が欲しいか聞いて希望するものを買う制度に変わってから各友人が「来年もこういう感じがいいな」と言っている子が多くなった。プレゼントに対して満足度がグッと上がってるなと思った。

やっぱり、何か相手の愛情を物や行為をお互いが満足し、納得してやるにはコミュニケーションを取って双方がその行為を認め合う事が1番満足度が高い。

例えば、サプライズ

事前に「私はサプライズ苦手です」て事を相手とコミュニケーションの中で把握出来ていればサプライズは絶対しない。けれどコミュニケーションを取れていなければそのまま実行されてしまい、そのせいで微妙な雰囲気になって双方が満足しない。

話を戻します。

やっぱり、ファンと推される立場の人はコミュニケーションを十分に取れる機会なんてコアな人じゃなけりゃない訳だから

やっぱり、なるべくプラスアルファな事はするべきではないのではないと思った。

だって相手がどう考えてるかなんてSNSとかイベントで100%分かるわけないもん。

というか、目に見えるものが本人の本心って確証なんてないんだし。

 

出待ちをするなと書かれているのなら「賞賛するため」とかプラスな感情でも ダメなもんはダメで、相手からしたら迷惑

カーテンコールで団扇を掲げるのが認められているか不透明な現場なら なるべく掲げるのは避けるべきだし。(のちのち許可されたら掲げればいいだけの話)

 

と、まあこうやって書いてみて思ったのは

ファンとして贔屓にできることって本当に少ない。許可されている事なんて普通の人間関係と比べたらちっぽけなこと。

まあ、冷静に考えればファンと贔屓の関係って友だちや恋人同士ではないから当たり前だけど。お互い他人だし。

 

けれど、そのちっぽけなことが贔屓にとって支えになったり仕事に繋がる行為だと思うから2020年も観劇を沢山していきたいなーって思う。

贔屓と私は他人同士。その気持ちを忘れずにいきたい。

 

(2020年どしょっぱつから暗いな...)