つけの つぶやき

舞台の話を気ままに。

リトル・ショップホラーズ振り返り~考えすぎ考察とともに~

贔屓!!新たな仕事おめでとう!!!VRのレンズ、公式グッズで売ってほしい!!!

とまあ、新型コロナの影響で軒並み中止・延期ななか、6月にはいり、新たな演劇企画が増えつつあって、気持ちが前に向かっているので、

3月にシアタークリエで行われた「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」の感想を。

ずっとレポを書きたかったのに自粛で気持ちが落ち込んでて書けなかった。やっと書ける気持ちになれました。

※ガッツリネタバレしているので 注意

 

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コロナで中止になって

ほんとなら3月の中旬から始まる予定だったリトショ。コロナの影響で延期が続き、私の見る予定だった公演日も数回無くなりとても落ち込みました。贔屓がリトショの前に出演していた作品が稽古と少し被っていた分、延期したことでさらに稽古できる分さらにいいものが見れるかもと思いこませることでなんとかしんどい気持ちを抑えようとしていました。それでもしんどくて少し泣けたけど、まあ、誤差。

 

作品の感想

新型コロナウイルスが流行している時期だからこそ、「オードリーⅡ」を「ウイルス」に置きかえると今の状態と類似しすぎて、恐怖で鳥肌が止まらなかった。人間が知らずのうちに魅了され、操られ、人間が気づいたときにはもう手遅れなくらい世界が植物のせいで混乱している。この状態って、今の状態ではないか?としか思えなかった。

架空の世界、いわゆる「Ifの世界」で、この作品が生まれたのも、この公演が決まり、情報公開されたのも2020年ではない時点で、現在の感染症パンデミックを背景として作られているとわけではないし、コロナが流行っているからこの作品が選ばれたわけでは決してない分、この「偶然」の恐ろしさもオードリーⅡが操っているように見えてさらに怖かった。

「コメディ」と謳われていたのに今のご時世的に世間が色々心配で、自分の心情的に全然笑えなくて、ずっとキャラや世界背景の事を考えてしまった。そこは寂しかったなー。もっと何も考えずに観たかった。

 

まあ・・・ほんとに出演者が豪華な作品だなあと思いました。主役・ヒロインを支える役者のまあー心強いことよ。コメディって、シリアスな作品よりもさらに間や演技が必要で下手だと急にサムくなるけれど、今回それが全くなかったのは周りがベテランぞろいだからだなあとすごく思いました。安心して楽しめる。

あと、衣装が豪華!!ロウズィーズの3人、何回着替えてる!?しかも生演奏で・・・贅沢だなあとホクホクしました。

キャラクターの感想は、どの俳優も最高だったのは前提として、ロウズィーズの3人方が自分の中で優勝でした。

ストーリーテラーとして、リトショの世界背景を映し出す鏡として、コーラスとして様々な角度からリトショの世界をお届けするのに核となる存在で、かつ本当に御三方が歌が上手い.......シアタークリエ、小さい劇場だから ダイレクトに耳に入るので厚みがある歌声にナンバーごとに毎回打ち震えました。曲を入れた状態でもう1回生歌を聴きたいなー。

下に書くシーモアやオードリーの所でも同じことを言うと思うけど、 リトショの登場人物は、みんな「何かに飢えている」人たちばかりでした。強烈な個性といえばそうなんだけど、中毒者みたいで すごく狂気を感じてしまった。リトルショップオブ「ホラーズ」と言ってるだけあって、自分的にめちゃくちゃホラーでした。怖かった。

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写真では見えづらいけど、リトショは「3D映像」があって、一人ひとり3Dメガネを渡されます。紙製のやつで、衛生的だなーと思った。

「確かに飛び出してくるかもー」程度の3D具合。映像がちょっと立体的でリアルかもーくらい。 ディズニーランドにある 「フィルハーマジック」みたいなのを期待すると、肩透かし食らう。

Twitterで、「3D映像でシーモアとのリア恋体験ができる」というツイート見つけて 観たけど確かにリア恋体験出来ました笑

「Somewhere That's Green」の場面のオードリーの妄想が3Dで シーモアが旦那さん(?)で色んな家事をしてくれてるのを見れました。

 私的に芝刈してるシーモアがキュートで好み。

youtu.be

 

シーモア(三浦宏規さん)

ミュージカルテニスの王子様を観なかったので、11月ぶりの三浦さん。岡幸二郎さんのコンサートの際の歌唱がレミゼ時よりも上がっていたので自分の中の期待値が爆上がりしていました。しかし、そこから数か月たち、その期待値よりもそれほどだったらどうしようと勝手に不安になっていました。けれどその不安は杞憂でした。レミゼよりも高音がよく出ていて、もともときれいに発声されていた低音もさらに磨きがかかっていて。以前は後半になると声が小さくなるなあと思っていましたが今回はレミゼや双騎の時ほどは感じませんでした。(3か月前なので思い出補正込みだし記憶が曖昧ですが。)私的に三浦さんの歌唱面を見て「また、帝劇の舞台にすぐにでも立ってほしい!」とはまだ思えないけれど、着実に成長している姿を見て今後も追いかけていきたいなあと改めて思いました。(ポエム)

レミゼの時からずっと思っていたんですが、高音域の音を出すとき眉毛がハの字になるなあと気になっていたんです。今回は、そのハの字眉毛がシーモアのキャラクター像にとぴったりとあっていて好みでした。

髪型はくるくるパーマ。結構好きでずっとあの髪型にしてて...とか思っていたけど千秋楽後速攻で変わってて残念でした。可愛かったのになあー。

あと、これは私の感じ方なせいかもしれないのですが、挙動不審なところとかをみて三浦さんのシーモアがどうしても、2007年雪組の「シルバーローズクロニクル」のエリオット(彩吹さん)にしかみえなくて。

http://bbkids.cocolog-nifty.com/takarazuka/2007/10/post_8e29.html

予習せずに観たのでずっと、シルバーローズの流れと混同して「あーこれ途中でオードリーⅡのおかげでイケメンになるんだな。陽キャラになる感じしかしないぞ」と思っていたんですが、別にそうではなかった。三浦さんの陽キャラなところがにじみ出ていただけな気がする。三浦さん陽キャラなのかは知らんけど。

ここからはシーモアの感想

孤児で何をしてもダメダメで植物オタクなシーモアシーモアがオードリーⅡを育てることですべてが始まるわけで。リトショの終演後は「シーモア、オードリーⅡを育てなければよかったんじゃん」と元も子もないようなことを考えていましたが、3か月たち思うのは、「誰にでもシーモアになりうる」ということでした。今回はオードリーⅡに操られていたわけだけれども、別に操られなくてもああはなるなあと思った。

シーモアはオードリーⅡに惹かれる以前に植物が「好き」なわけで。その感情は私は痛いほど共感ができる。だから、その「好き」ゆえの行動があの結末に至ってしまうことが自分にとって他人事ではなくて冷や汗が出た。

実際、特定の俳優のファンをしていると自分の意思に関係なく、「行動する」ということはたびたびあるわけで、振り返ると「なんでこの舞台を観ようと思ったんだろう」と後悔することなんて吐くほどある。そう思うと、「好き」という気持ちって、めちゃくちゃ自分の人生を振り回すなあと思う。もちろん、弊害よりも得したことのほうがたくさんなわけだからこの感情が悪であるわけではないけれど、今回のシーモアの出来事は悪い方に転がっていた。それだけなんだと思う。

あと、シーモアをみて、「愛されること」ってほんとに大切なんだな...とすごく思った。心のよりどころになるような人物がいること。シーモアにはその存在が人間にはいなくて、オードリーⅡがその役割を担っていたからどんどん話がおかしくなっていくのだと思った。シーモアがもし愛されて育っていたらオードリーⅡは存在しているのだろうか?(余談ですが「レミゼラブル」のエポニーヌを見ていても同じ感情を持った。エポニーヌにとってのマリウスが、シーモアにとってのオードリーⅡだなと思った。)
 

 オードリー(井上小百合さん)

井上さんの舞台は2回目なのですが、めちゃくちゃ技術の成長に感動しました。こんなに1年で成長するのか!と。

正直、2019年3月、つまり1年前の同じ時期に井上さんの出演する舞台を観たとき、どうしても周りの存在感が強すぎて井上さんの存在感がなくて...歌唱力もそれほど(アイドル比で上手いかな?という感じ)な分、今回観ることが決まった時、少し不安でした。失礼であることを承知で言うと「しょせん、アイドルの域を出られない」のだろうな、と勝手に思っていました。

今回、井上さんのパフォーマンスをみて、その考えが一変しました。歌唱力がめちゃくちゃ上がってる・・・

オードリーの役柄上、地声というより、かつみ♡さゆりのさゆりさんのような愛らしい声での発声を求められていた分、単純な比較はできませんが、それでも歌唱技術が分かるほど目に見えた成長に鳥肌が止まりませんでした。

終演後、プロフィールをのぞくと、リトショで乃木坂46をご卒業されると知り、それを踏まえて振り返ると、その成長は井上さんの姿から女優としての覚悟があってこそなのかなと思いました。アイドルをされている(いた)ミュージカル俳優は数人見たことがありますが、正直一番好みでした。

ここからはオードリーの感想

オードリーの姿を見て思ったのは、「オードリーは、恋人のオリンもシーモアも別に好きではなかったんだろうな」ということでした。ずっと、オードリーの本心だけ、靄がかかっているように見えなかった。(私はあまり好きではないのですが)、昔の理想的な女性像としていわれる「男性を支える」という表現、「男性ありきの自分である」つまり、「(自分の気持ちはともかく)男性を立ててこそである」という考え。オードリーもそういうような女性に見えました。男性を立ててこそ。自分の考えは二の次。

(もちろん、DV被害者の女性としての側面があるから一概にそうとは言えないけど)

だから、オードリーの気持ちがどうしてもくみ取れなくて寂しいなあと思った。アメリカでも昔の女性像ってこんな感じなのだろうか。

シーモアに対しても、結局は「偶像崇拝」の域を出られなかった印象。シーモアとの生活を夢見るけど、そこに映るシーモア像は、本当のシーモアではなく、「オードリーが主観的に見たシーモア」でしかななくて。アイドル(憧れの存在)とファンみたいな関係性だなあとすごく思った。「somewhere That's Green」の場面は3Dだったけど、3Dだからこそ「妄想」であることが強調されててほんとに切なかったなあ。手を少し伸ばせば届くのに、気持ちにとどめてる感じが...

オードリーは、一見誰にでも優しく愛想を振りまいているのに、よく見ると誰に対しても一定の距離感があるのをみて、誰にも心を開けなくなってしまう過去をもってしまったことに対する寂しさをすごく痛感した3時間でした...(そういうセリフ・歌詞があった気がするんだけどなにせ1回しか見られなかったので覚えきれなかった...)

 

最後に

リトショは、自分的にずっと見たかった「何かに絶望して怒り狂っている三浦宏規さん」がみれてめちゃくちゃ満たされたし、正直1回では楽しみ切れないほど登場人物が濃くて、3D映像等の演出も面白くて何回も見たかったなあ...とすごく思いました。シアタークリエのあのコンパクトなハコだからこそ、リトショの大道具・小道具がごちゃごちゃ感があってめちゃくちゃ可愛かった...

コロナで中止になってしまったのが本当に惜しい。2021年以降、なるべく同じキャストで観たいと思ったし、とにかくオードリーのWキャストのもう一人の妃海風さんのオードリーがみたい!

 アランメンケンの曲もほんとにキャッチーで何回聴いても飽きなくて大好きなので、近い将来、再演されることを強く願っています。

たくさんの人が「リトルショップオブホラーズ」を観られる未来が来ますように。

Little Shop Of Horrors

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