つけの つぶやき

舞台の話を気ままに。

レ・ミゼラブルと私~2019年の感想~

レミゼ千穐楽おめでとうございますブログその2

 

レ・ミゼラブル、MY千秋楽を博多座で終わらせる事になり、何かブログでばばばーっと書き連ねたいと思っていて。

博多座レミゼの当日券に並んでいた際に仲良くなった方に

「貴方の歳でレ・ミゼラブルに出会えたことは幸せなことですよ。一生愛し続けることができて、各年代で違った見方ができるから」

と仰って頂いたことがとても印象に残っていて、その事を思い出して

あ、だったら 「今の私」がもつレミゼに対する感想を書きたいな

と思ったので書きます。なので私の気持ちの備忘録です。こいつはこう思ったんだなー程度に。

 

今の私について

20代前半 女性 学生(コゼット/エポニーヌ/マリウス世代)

レ・ミゼラブル 初観劇、小説/映画未読

 

 

プリンシパルキャス

 マリウス

※今回、チケットが取れなくて三浦マリウスしか観てないので マリウスというより「三浦マリウス」の感想かもしれません。

 

 レミゼ何回かみて、「なんか...マリウス、見た事あるな...」と思ってたんですが

 これでした。マリウス、鈴木輝だ...

まっすぐでピュアで気づいたら皆の輪の中心に居て色んな人に好かれて。

ヒロインに一目惚れしてまっすぐ恋愛するけど 鈍感だから幼なじみが自分の事好きだとは気づかない... うん...Sho-Comiでめっちゃ見たやつだ...

三角関係モノの王道を行くキャラだから、レミゼという人間関係が複雑に絡み合ってるストーリーの中でも理解しやすく、気持ちが入れこみやすいキャラだなあ...と思いました。

あと、心がまっすぐだから 相手に気持ちがまっすぐ届く。他の登場人物の心を掴むのが本当に上手い人だなあと。ジャン・バルジャンはマリウスを助けたけど、マリウスじゃなかったら助けなかったんじゃないかな。ジャン・バルジャンにとってコゼットは心の拠り所であり唯一の愛する女性であるわけだし、少しでもマリウスに対して気持ちの曇りがあれば助けるのを少し躊躇すると思う。

マリウスのまっすぐな(コゼットへの)お手紙を読んでいたからこそ「何がなんでも助けたい」と思わせてたのだと思うな。

 

コゼット

私の好み的にあまり刺さらなかったキャラ。だけど、考えてみると 「愛する人を信じ続ける力」が強い女性だなーって思った。

幼少期から母の元を離れ、ティナルディエ夫妻やエポニーヌにいじめ抜かれたり、ジャン・バルジャンと暮らしてからも人との接触を避けた生活をして。

マリウスと出会って恋をしてからも、暴動でジャン・バルジャンとマリウスを失なった事実に直面しても後追いするのではなく生き続けた。(あそこでは描写されてない(気がする)けど結果的に生きていたけど最初は「2人とも死んだ」って言われてたんじゃないかな。)

コゼットの周りには心を折らせるような出来事が沢山あったのに折れずにまっすぐ生きたのは、「愛したらまっすぐ愛する」人だったからだと思う。ファンテーヌを愛し、ジャン・バルジャンを愛し、マリウスを愛して、決して揺らぐことがなかったからこそ出来たこと。

けど、それってなかなか出来ないことだよなー。私もファンをしていて「好きって気持ちってすごく揺らぎやすいなー」って本当毎日思う。

「変わらずに愛し続けます!」って、言うのは容易いけど、不変なものはないわけで。一瞬でも暗い感情でいっぱいになったら「あ、もう好きじゃないわ」ってなる。コゼットはそういう気持ちの揺らぎがほとんどない。「えっ!?なんで!?」って気持ちがあったとしても最終的にはその人の気持ちに寄り添ってる。あと、ただ闇雲に愛するのでは無く、「信頼出来る」人だけを愛し続けてる。コゼットは人を見抜く天才でもあったんじゃないかなー。

 

エポニーヌ

レ・ミゼラブル共感度ランキングNo.1

 私は、エポニーヌみたいな子が大好きです。

DQN親の子どもはDQNになりやすい」ってよく聞く話で。実際、エポニーヌもリトルエポニーヌの頃は超いじめっ子だったじゃないですか? けれど、成長すると両親に刃向かうようになる。なんでかなーと考えたら、やっぱり「マリウス」の存在が1番強いんじゃないかな?って思う。学生として目標を持って生き生きとしているマリウスの生きる世界は、エポニーヌにとって新鮮でとても魅力的な世界だったんだろうな。(世界に飛び込みたい!のかは分からないけど)

 

エポニーヌの好きな人の前で素直になれなくて、好きな人にとことん尽くしちゃうところが本当に大好きでした。

ちょっとでもいいから「好き」って気持ちをまっすぐに伝えていたら、マリウスは...って思っちゃうけど 多分付き合えたとしても マリウスはコゼットに恋をしてしまうし、それを見てエポニーヌは身を引いてしまうんだろうなあ。切ない。

大好きな人の想い人が過去に自分が虐めてた人っていう巡り合わせがとても切ないです。

 

関係ないですが好きになるキャラ、皆 闇堕ちか死ぬんですけど、どうしたらいいんですかね?私の闇が深いんですかね???

 

その他のキャラ

マリウス、コゼット、エポニーヌと比べてあまり...いや、殆ど共感できなかった。

ストーリー展開が速すぎなのかな?と思いつつ回数を重ねても、あまり共感できるポイントが見つからないのでもうそれは私の今の現状なのだと思う。

ジャン・バルジャン 

「私だったらどうするだろう?」と考えた時に自分が考える行動と真反対を行く人間だった。

例えば、市長になったものの、正義感に駆られ脱獄者(24653)であると裁判所で告げるシーン

 私なら 「市長」という上に立つもの、いわゆる「権力者」として冤罪である者(市民)を救い、自分を慕う市民をまとめ、市長として法整備や設備投資、環境整備を行うことで市民や学生を暴動の渦に巻き込ませることなく幸せに暮らせたのではないか?

自分の正義感を守る選択をしたことは、自分の存在に救いを求めていた市民に対しての裏切り行為ではないのか?と。

こういった彼の人生における選択が全て自分の感性の逆を行くばかりで、どうして?なんで?とハテナマークばかり。

自分が今の年齢だからか自分とジャン・バルジャンとの性格の不一致かはまだ分からない。私が歳を重ねて ジャン・バルジャンに対する評価が変わるのかどうかが楽しみ。

 

 テナルディエ夫妻、市民

共感出来ないな キャラ2組目。

 博多座でマイ楽を終えてもジャン・バルジャンとは違った 共感/理解出来なさだった。

ジャン・バルジャンたちは、「自分(私)の選択肢の中には生み出されるけど、私なら選ばない選択肢を選ぶ人間」

ティナルディエ夫妻は「私の中で考えつかない選択肢が彼らの選択肢にはあってそれを選ぶ人間」

まずスタートが違う。

人の考え方はそれぞれ違うとはいえ、SEXが娯楽の一部になっていたり、平気に人の物を盗んだり、薄い酒を作りぼったくりをしたり、実の娘のエポニーヌを実質育児放棄したり。

「いや、倫理的にダメでしょ?」って思うような事を突拍子も無く、しかも悪気もなくやってしまうティナルディエ夫妻が本当に理解できなかった。共感できるところなんてったくなかった。

そんな時、このブログ記事を読んで何故理解出来なかったかという理由が分かった。

私のいる世界→追記の記事2つあります - ひきこもり女子いろいろえっち 

「低学歴の世界」なるほど、そりゃあ私分からんわって。高学歴(豊かな人)とは言わないけど舞台鑑賞という血にも肉にもならないものに対してお金を払っている私は、全世界を見たら色々な意味で貧しくはない。女性だからと言って貶されることなく大学にも行かせて頂いてる。色々な情報を得て生きている。

だから、「低学歴の世界」はフィクション作品の世界にしか見えない。自分の実生活には縁遠いからリアルじゃない。

多分、ティナルディエ夫妻は学力がないんじゃなくて、善悪を判断する環境下にないんじゃないかな。

フツーじゃない常識が、底辺にある。 

 これに限る。生きる為とはいえ、あれほど善悪の判断がなっていない事を躊躇なくやる。これって、上記のブログにも書いてあるとおり「低学歴の世界」では一般常識的にアウトなものに対して「それは悪だよ」と教えてくれる人が居ないし「それをしなくてもいい方法があるよ」と、別の道を教えてくれる人、つまり、 「自分の視点を大きく変えるような存在 」が周りに居ないと 起こってしまうことなのではないかな?その存在は学歴や貧富は関係ない。

ジャン・バルジャンやエポニーヌの2人はそんな存在がそれぞれいた。だから比較的私の考えの範疇内にいたのだと思う。

ジャン・バルジャンは、「司教」

エポニーヌは「マリウス」 

司教とマリウスの共通点は、「相手とは180°違う視点を持っていた」こと。

司教は「相手を赦す」マリウスは「学問」

それぞれ自分が生きる環境下に転がっていなかった思想や物を持っていたからこそ、司教やマリウスはとてもセンセーショナルな存在であり、自分の考えに対して客観的に見直すきっかけになった存在であったと考えると、そのような存在が周りにいなかったからこそ、ティナルディエ夫妻は全編を通して、色んな意味で何も変わらない人間であったのだと思った。

ティナルディエ夫妻の考えはこれからも実生活を受けて気持ちを落とし込むことは出来ないだろうと思う。けれど「そういう人も世間にはいる」から「私はどうすればいいか」と言うことを考えていけたらいいなと思う。

 

蛇足だけど、ティナルディエ夫妻が登場すると少し緊張がほぐれて笑いが起きる事実を考えると、劇場に居る人達は「高学歴の世界」の人ばかりであり、ティナルディエ夫妻はフィクションの人間でしかないのかなって思えてくる。

 

ティナルディエ夫妻は共感は出来ないけど、自分の視点を見直すきっかけになった存在だったな。

 

最後に

こうして文章にしてみると共感できるキャラクターと共感や理解は出来ないけど胸に引っかかるキャラクターは違うんだなーと思った。

まだ推測でしかないけど、これからの経験によって共感できたり胸に引っかかるキャラクターはどんどん変化していくんだと思う。

その心の変化を楽しめるようにこれからも人生を歩んでいけたらいいな。(急に重い)

 

以上、2019年の私的レ・ミゼラブルの感想でした。