つけの つぶやき

舞台の話を気ままに。

The story of my lifeを観た

舞台を観る度に、壁打ちとしてインスタグラムで感想を投稿してるのですが、ブログでも良くないか?と思ったのでここでも壁打ちしようと思います。

 

10/29ソワレ
ストーリーオブマイライフ 御園座

田代万里生さんの歌声が聴きたいなーと思ってて。
御園座で公演されるって知ってたけど、踏ん切りつかず 当日。
ここ数日ずっと観ようか観まいか悩んでたけど、やっぱり観たいなって事で観ました。

登場人物は、アルヴィンとトーマスのたった2人だけ。
2人は親友。

幼少期約束した「どちらかが死んだら遺った方が弔辞を読む」という約束が アルヴィンの死によってトーマスが約束を果たそうとする。書くもののより良い文章が出てこず書けないでいると死んだはずのアルヴィンが出てきて...

舞台装置、道具

舞台上には大きな本棚と床にも本や紙が散らばっていました。中央にあった机にも紙が積み上げられていて、舞台上にあるもの全てが場面ごとに違った意味合いをもっていてすごく面白かった。
「本」や「用紙」には「2人の思い出」が書かれていてそれを2人は拾い、読み、回想する。それをみて舞台上はトーマスの頭の中なんだろうなと思った。

 

演出

トーマスは短編小説家なんだけど

「ストーリー」としてアルヴィンやトーマスの話、2人の話を短編小説の様に幼少期から回想していく演出。
紙を拾い上げる(回想)→ 弔辞書く →紙を拾う(回想)→ 弔辞書く...
って感じ。(文章にすると分かりづらい。)

その回想演出によって「アルヴィンの存在/思い出」がトーマスが小説家になった根源であることを暗喩していて、それが後半になればなるほど意味を深く持つようになるのがすごく面白いなと思った。

私が1番いいなーと思ったのは後半の場面。

アルヴィンは橋から落ちて死ぬんだけど、最後、トーマスが「アルヴィンの死」についてのストーリーをさがそうと用紙や本を探し始めるところ。その時の台詞
「その中に『アルヴィンの死』はないよ。だって、君はその場には居なかったじゃないか。橋で何があったのか?落とされたのか?落ちたのか?君は、たくさんの疑問を持ち続けて生きていくしかないんだ。」(うろ覚え)
って言葉に「あー、なるほどなー」って思った。

 

10月上旬にも、同じように「突然、愛する人(息子)を亡くす」という登場人物が主人公の舞台をみて、主人公は夢に潜って「もしも...」(if)と息子が生まれてから死ぬまでの2人の思い出を繰り返し続ける...という作品で、その時も主人公にダバダバ感情移入して、ダバダバ泣いたんですけど、その時も「なぜ思い出を振り返っても意味が無いのか?」って言語化できないなーって思ってて。ずっと考えてもやっぱり出てこなかったんです。

けれど、今回のアルヴィンの台詞に触れて

その人の「死」に対しての「思い出を振り返ること」の無意味さを改めて痛感させられたし、

これは、その人の亡くなった理由が自力/他力(自殺や他殺)ではなく、闘病の末の病死であっても言える事かな?と考えてみたいなーと思いました。

 

やっぱり、「死」って不思議で、自分にとって近しい存在でもそうでなくても「な(無/亡)くなる」という事情を知らされると色んな感情が駆け巡りざるを得ないよねえ。

それが事実であろうと、舞台等のフィクションであっても。

敏感になりすぎても疲弊しちゃうけど、定期的にこうやって立ち止まって考えていきたい。

 

今回、1回しか見れなかったけど2回観たらさらに面白い作品だろうなーと思った。
なかなかこのさじ加減が難しいね。やっぱりあらすじだけじゃ分からないから。
𓀥
「ミュージカル」のみの舞台は今のところ今回で2019年最後でした。