つけの つぶやき

舞台の話を気ままに。

1年前贔屓が退団発表した日

1年前の今日は「優美せりな」という1人のタカラジェンヌの終わりの日が2月10日であるとハッキリと通告された日です。

 

この1年、色んなことがあった。正直、優美さんとの別れを忘れてしまう事もあるくらい自分の事でいっぱいいっぱいになる事も沢山あった。

けれど、ふと立ち止まった時に思い出すのはやっぱり、どこかで頑張ってる優美さんの事だった。

 

アクセサリーショップに行くと「これ、優美さんがショー作品で付けたら映えるんだろうなー」とか、日比谷シャンテのドレスショップの前通ると「このドレス、優美さんに着て欲しいな」とかとか。

日常生活で見る「ときめくもの」を優美さんにリンクさせてしまうクセを治さなきゃなと思いつつ、このクセがなくなってしまう恐怖も頭の片隅に存在している。

どっちだよって感じだな。

 

ファンがこんな事言うのはなんだけど、優美せりなというタカラジェンヌは、決して万人に気づかれた存在ではないと思う。

多分、知らない人は本当に知らないくらい意識しないと居るか居ないか分からない、そんな存在で、退団してもやっぱり「卒業生約数千人の中の1人」でしかない。

 

 

けれど

やっぱり私の中では、優美せりなはどんなトップスターよりもキラキラ光っていて、どんなタカラジェンヌよりも美しくて神々しくて特別な存在でした。

 

突然で、しかもこれからファンとして生きていこう!!と思った矢先の退団発表。

呆気なくて 虚しかったけど...

 

やっぱり1年経っても大好きです。

 

去年の今日、タイムリミットの近さに号泣したあの瞬間を、私は一生忘れない。

 

優美せりなさん。

本名の貴女に戻って約10ヶ月。

お元気ですか?

今日もどこかに居るであろう貴女の活躍を祈っています。

ダンスオブヴァンパイアを観たよ

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 ※ネタバレしてます。ご注意を。

12/18ソワレ 御園座

観劇納め!


12月中、ミュージカル観たい気持ちでいっぱいだったのに、11月に納めてしまったので...
あと、シンプルに色々な事が立て込みまして、
「あ!!!私、このままだとストレスで爆発する!!!!」と思ったので、見てきました。

エリザやMA、モーツァルト!といった皆が知ってる作品を作り出したミヒャエルクンツェの脚本。
あんまり、ミヒャエルクンツェのストーリー展開好きじゃないんだけど...
結局クセになって心に残ってしまう作品ばかり作るから

相変わらず、「ミュージカル界のダーイシ*1」だなあーってなりました。(ただ私がダーイシファンなだけ

何度も言うように、ミヒャエルクンツェの作る脚本のストーリー展開があんま好きじゃないせいで、「うーん、この場面いらんくない...?」って何回もなったけど、結末を知ってから思い返してみると、「あの場面はここに繋がるのか!?」と感動が止まらなくて、久しぶりに鳥肌が立った。

 

人間も吸血鬼もエゴの塊で、多かれ少なかれ「下心」や「野心」「執着心」を持っていて。唯一それを持っていなかった(吸血鬼ハンターの助手なのにハンターの執着心である「吸血鬼を狩る」という気持ちが持てず心臓に杭すら打てない)アルフレートも、サラと出会う事で「サラと一緒にいたい」「サラを助けたい」という『執着心』を持つようになる。

だからこそ「アルフレートが吸血鬼(執着心)に喉を噛まれてしまう」というラストは「純新無垢な存在が執着心に呑まれてしまう」という暗喩なのではないかな?と思った。そう思えるのは1幕ラストや2幕冒頭の場面でも「吸血鬼とアルフレートが馴れ合う」シーンがあるせいかな?あとは教授の最後の場面を見ても人間が執着心や野望に呑み込まれているなと思った。

私の中でのキーはやっぱり「野心、執着心」かな。


楽曲も初めて聴くのに耳馴染みがよくて飽きがこないものばかりでとってもワクワクした!エリザやレミゼと違って初めて聴くような曲ばかりなのに不思議だったなー。

 

心に残ったキャストは、やっぱり 相葉裕樹さん...!
博多座レミゼぶりー!
Wキャストの東啓介さんの歌が聴きたかったんだけど、ばっちさんの回しか取れなくて残念だった...(どっちの俳優も好き)

 

ばっちさんのピュアな男性像がほんとに可愛くて、ニコニコしてたら最後に吸血鬼になられて...心臓がキュッってなった。「アルフレートだけは...!」と。
ほんとに、ばっちさんが頸動脈噛まれた時、「ヒッ」って声出てしまった...

 

ぴゅあぴゅあな青年から吸血鬼になる事での妖美な男性になった瞬間のばっちさんがめちゃくちゃセクシーで...たった3分ぐらいの場面だけど、一瞬で心奪われたなあ。
ギャップによる心臓発作で死ぬかと思った...

「アルフレートはこういう子だ!」というビジョンをばっちさんがしっかり提供してくれたから、そのイメージをぶち壊すシーンでのインパクトが大きくなったんだろうなー!!!ばっちさん、相変わらず凄かった...

ハッピーエンドなのにどこか妖しげでこれで本当に良かったのか??と考えてしまう、登場人物のエゴがたっぷり詰まった「exciting」で「interesting」なWな面白さのあるミュージカルでした。

観劇納めがこのミュージカルでほんとに良かったー!!!

*1:宝塚の演出家、石田昌也の愛称

贔屓がヒプステに出るぞ。~1万8千円~

みんな!!!!!私の贔屓が全席1万8千円の舞台に出るぞ!!!!!!!!!

 

 

 

いやーーーーーー、今年最大の「謎カルチャー」こと「全席1万8千円(オーディエンスキット付き)」を輩出する「ヒプステ」に

贔屓である、荒木宏文さんが出演されますパチパチパチ(白目)

 

これ、私には関係ないと思ってて見て見ぬふりしてきたんですが、贔屓が出るんで言うんですけど

 

やっぱり全席1万8千円は高くないですか?????

 

え?ステラボールって、そんな格式高いんすか?レミゼでも、2階席とか6000円よ?

もしかして、オペラ?オペラなんですか???ヒプステって???(混乱)

 

そして、謎のオーディエンスキット

私は部屋でかさばるが嫌なのでグッズはスチール写真くらいしか買わないんですけど、

そういう人にまでプレゼントfor you♡って感じなんですね???(そう書いてあるだろ)

 

うーーーん

グッズ、マジでいらねえなあ...

こんなこと言ったら失礼ですが

オーディエンスキットが前回と一緒なら、CD以外は捨てるなあ...

 

うーーーーーーん。びっくりしちゃって思わず殴り書きしましたが

明日以降、私は「全席1万8千円」をどう感じるんでしょうか??

 

とりあえず、刀ミュ「歌合」の贔屓がめちゃくちゃよかったのでそれを反芻しまくろうと思います。

(現実逃避)

 

追記:ヒプステが嫌だという訳ではなく、「いい舞台なのに値段や付随物のせいで行かないという選択が生まれるのが嫌だ」という気持ちが強いです。

それだけ1万8千円は、「出せるけど何回も出したくはない」値段であるとは思います。

贔屓の一二三はめっちゃ楽しみ。

The story of my lifeを観た

舞台を観る度に、壁打ちとしてインスタグラムで感想を投稿してるのですが、ブログでも良くないか?と思ったのでここでも壁打ちしようと思います。

 

10/29ソワレ
ストーリーオブマイライフ 御園座

田代万里生さんの歌声が聴きたいなーと思ってて。
御園座で公演されるって知ってたけど、踏ん切りつかず 当日。
ここ数日ずっと観ようか観まいか悩んでたけど、やっぱり観たいなって事で観ました。

登場人物は、アルヴィンとトーマスのたった2人だけ。
2人は親友。

幼少期約束した「どちらかが死んだら遺った方が弔辞を読む」という約束が アルヴィンの死によってトーマスが約束を果たそうとする。書くもののより良い文章が出てこず書けないでいると死んだはずのアルヴィンが出てきて...

舞台装置、道具

舞台上には大きな本棚と床にも本や紙が散らばっていました。中央にあった机にも紙が積み上げられていて、舞台上にあるもの全てが場面ごとに違った意味合いをもっていてすごく面白かった。
「本」や「用紙」には「2人の思い出」が書かれていてそれを2人は拾い、読み、回想する。それをみて舞台上はトーマスの頭の中なんだろうなと思った。

 

演出

トーマスは短編小説家なんだけど

「ストーリー」としてアルヴィンやトーマスの話、2人の話を短編小説の様に幼少期から回想していく演出。
紙を拾い上げる(回想)→ 弔辞書く →紙を拾う(回想)→ 弔辞書く...
って感じ。(文章にすると分かりづらい。)

その回想演出によって「アルヴィンの存在/思い出」がトーマスが小説家になった根源であることを暗喩していて、それが後半になればなるほど意味を深く持つようになるのがすごく面白いなと思った。

私が1番いいなーと思ったのは後半の場面。

アルヴィンは橋から落ちて死ぬんだけど、最後、トーマスが「アルヴィンの死」についてのストーリーをさがそうと用紙や本を探し始めるところ。その時の台詞
「その中に『アルヴィンの死』はないよ。だって、君はその場には居なかったじゃないか。橋で何があったのか?落とされたのか?落ちたのか?君は、たくさんの疑問を持ち続けて生きていくしかないんだ。」(うろ覚え)
って言葉に「あー、なるほどなー」って思った。

 

10月上旬にも、同じように「突然、愛する人(息子)を亡くす」という登場人物が主人公の舞台をみて、主人公は夢に潜って「もしも...」(if)と息子が生まれてから死ぬまでの2人の思い出を繰り返し続ける...という作品で、その時も主人公にダバダバ感情移入して、ダバダバ泣いたんですけど、その時も「なぜ思い出を振り返っても意味が無いのか?」って言語化できないなーって思ってて。ずっと考えてもやっぱり出てこなかったんです。

けれど、今回のアルヴィンの台詞に触れて

その人の「死」に対しての「思い出を振り返ること」の無意味さを改めて痛感させられたし、

これは、その人の亡くなった理由が自力/他力(自殺や他殺)ではなく、闘病の末の病死であっても言える事かな?と考えてみたいなーと思いました。

 

やっぱり、「死」って不思議で、自分にとって近しい存在でもそうでなくても「な(無/亡)くなる」という事情を知らされると色んな感情が駆け巡りざるを得ないよねえ。

それが事実であろうと、舞台等のフィクションであっても。

敏感になりすぎても疲弊しちゃうけど、定期的にこうやって立ち止まって考えていきたい。

 

今回、1回しか見れなかったけど2回観たらさらに面白い作品だろうなーと思った。
なかなかこのさじ加減が難しいね。やっぱりあらすじだけじゃ分からないから。
𓀥
「ミュージカル」のみの舞台は今のところ今回で2019年最後でした。

レ・ミゼラブルと私~2019年の感想~

レミゼ千穐楽おめでとうございますブログその2

 

レ・ミゼラブル、MY千秋楽を博多座で終わらせる事になり、何かブログでばばばーっと書き連ねたいと思っていて。

博多座レミゼの当日券に並んでいた際に仲良くなった方に

「貴方の歳でレ・ミゼラブルに出会えたことは幸せなことですよ。一生愛し続けることができて、各年代で違った見方ができるから」

と仰って頂いたことがとても印象に残っていて、その事を思い出して

あ、だったら 「今の私」がもつレミゼに対する感想を書きたいな

と思ったので書きます。なので私の気持ちの備忘録です。こいつはこう思ったんだなー程度に。

 

今の私について

20代前半 女性 学生(コゼット/エポニーヌ/マリウス世代)

レ・ミゼラブル 初観劇、小説/映画未読

 

 

プリンシパルキャス

 マリウス

※今回、チケットが取れなくて三浦マリウスしか観てないので マリウスというより「三浦マリウス」の感想かもしれません。

 

 レミゼ何回かみて、「なんか...マリウス、見た事あるな...」と思ってたんですが

 これでした。マリウス、鈴木輝だ...

まっすぐでピュアで気づいたら皆の輪の中心に居て色んな人に好かれて。

ヒロインに一目惚れしてまっすぐ恋愛するけど 鈍感だから幼なじみが自分の事好きだとは気づかない... うん...Sho-Comiでめっちゃ見たやつだ...

三角関係モノの王道を行くキャラだから、レミゼという人間関係が複雑に絡み合ってるストーリーの中でも理解しやすく、気持ちが入れこみやすいキャラだなあ...と思いました。

あと、心がまっすぐだから 相手に気持ちがまっすぐ届く。他の登場人物の心を掴むのが本当に上手い人だなあと。ジャン・バルジャンはマリウスを助けたけど、マリウスじゃなかったら助けなかったんじゃないかな。ジャン・バルジャンにとってコゼットは心の拠り所であり唯一の愛する女性であるわけだし、少しでもマリウスに対して気持ちの曇りがあれば助けるのを少し躊躇すると思う。

マリウスのまっすぐな(コゼットへの)お手紙を読んでいたからこそ「何がなんでも助けたい」と思わせてたのだと思うな。

 

コゼット

私の好み的にあまり刺さらなかったキャラ。だけど、考えてみると 「愛する人を信じ続ける力」が強い女性だなーって思った。

幼少期から母の元を離れ、ティナルディエ夫妻やエポニーヌにいじめ抜かれたり、ジャン・バルジャンと暮らしてからも人との接触を避けた生活をして。

マリウスと出会って恋をしてからも、暴動でジャン・バルジャンとマリウスを失なった事実に直面しても後追いするのではなく生き続けた。(あそこでは描写されてない(気がする)けど結果的に生きていたけど最初は「2人とも死んだ」って言われてたんじゃないかな。)

コゼットの周りには心を折らせるような出来事が沢山あったのに折れずにまっすぐ生きたのは、「愛したらまっすぐ愛する」人だったからだと思う。ファンテーヌを愛し、ジャン・バルジャンを愛し、マリウスを愛して、決して揺らぐことがなかったからこそ出来たこと。

けど、それってなかなか出来ないことだよなー。私もファンをしていて「好きって気持ちってすごく揺らぎやすいなー」って本当毎日思う。

「変わらずに愛し続けます!」って、言うのは容易いけど、不変なものはないわけで。一瞬でも暗い感情でいっぱいになったら「あ、もう好きじゃないわ」ってなる。コゼットはそういう気持ちの揺らぎがほとんどない。「えっ!?なんで!?」って気持ちがあったとしても最終的にはその人の気持ちに寄り添ってる。あと、ただ闇雲に愛するのでは無く、「信頼出来る」人だけを愛し続けてる。コゼットは人を見抜く天才でもあったんじゃないかなー。

 

エポニーヌ

レ・ミゼラブル共感度ランキングNo.1

 私は、エポニーヌみたいな子が大好きです。

DQN親の子どもはDQNになりやすい」ってよく聞く話で。実際、エポニーヌもリトルエポニーヌの頃は超いじめっ子だったじゃないですか? けれど、成長すると両親に刃向かうようになる。なんでかなーと考えたら、やっぱり「マリウス」の存在が1番強いんじゃないかな?って思う。学生として目標を持って生き生きとしているマリウスの生きる世界は、エポニーヌにとって新鮮でとても魅力的な世界だったんだろうな。(世界に飛び込みたい!のかは分からないけど)

 

エポニーヌの好きな人の前で素直になれなくて、好きな人にとことん尽くしちゃうところが本当に大好きでした。

ちょっとでもいいから「好き」って気持ちをまっすぐに伝えていたら、マリウスは...って思っちゃうけど 多分付き合えたとしても マリウスはコゼットに恋をしてしまうし、それを見てエポニーヌは身を引いてしまうんだろうなあ。切ない。

大好きな人の想い人が過去に自分が虐めてた人っていう巡り合わせがとても切ないです。

 

関係ないですが好きになるキャラ、皆 闇堕ちか死ぬんですけど、どうしたらいいんですかね?私の闇が深いんですかね???

 

その他のキャラ

マリウス、コゼット、エポニーヌと比べてあまり...いや、殆ど共感できなかった。

ストーリー展開が速すぎなのかな?と思いつつ回数を重ねても、あまり共感できるポイントが見つからないのでもうそれは私の今の現状なのだと思う。

ジャン・バルジャン 

「私だったらどうするだろう?」と考えた時に自分が考える行動と真反対を行く人間だった。

例えば、市長になったものの、正義感に駆られ脱獄者(24653)であると裁判所で告げるシーン

 私なら 「市長」という上に立つもの、いわゆる「権力者」として冤罪である者(市民)を救い、自分を慕う市民をまとめ、市長として法整備や設備投資、環境整備を行うことで市民や学生を暴動の渦に巻き込ませることなく幸せに暮らせたのではないか?

自分の正義感を守る選択をしたことは、自分の存在に救いを求めていた市民に対しての裏切り行為ではないのか?と。

こういった彼の人生における選択が全て自分の感性の逆を行くばかりで、どうして?なんで?とハテナマークばかり。

自分が今の年齢だからか自分とジャン・バルジャンとの性格の不一致かはまだ分からない。私が歳を重ねて ジャン・バルジャンに対する評価が変わるのかどうかが楽しみ。

 

 テナルディエ夫妻、市民

共感出来ないな キャラ2組目。

 博多座でマイ楽を終えてもジャン・バルジャンとは違った 共感/理解出来なさだった。

ジャン・バルジャンたちは、「自分(私)の選択肢の中には生み出されるけど、私なら選ばない選択肢を選ぶ人間」

ティナルディエ夫妻は「私の中で考えつかない選択肢が彼らの選択肢にはあってそれを選ぶ人間」

まずスタートが違う。

人の考え方はそれぞれ違うとはいえ、SEXが娯楽の一部になっていたり、平気に人の物を盗んだり、薄い酒を作りぼったくりをしたり、実の娘のエポニーヌを実質育児放棄したり。

「いや、倫理的にダメでしょ?」って思うような事を突拍子も無く、しかも悪気もなくやってしまうティナルディエ夫妻が本当に理解できなかった。共感できるところなんてったくなかった。

そんな時、このブログ記事を読んで何故理解出来なかったかという理由が分かった。

私のいる世界→追記の記事2つあります - ひきこもり女子いろいろえっち 

「低学歴の世界」なるほど、そりゃあ私分からんわって。高学歴(豊かな人)とは言わないけど舞台鑑賞という血にも肉にもならないものに対してお金を払っている私は、全世界を見たら色々な意味で貧しくはない。女性だからと言って貶されることなく大学にも行かせて頂いてる。色々な情報を得て生きている。

だから、「低学歴の世界」はフィクション作品の世界にしか見えない。自分の実生活には縁遠いからリアルじゃない。

多分、ティナルディエ夫妻は学力がないんじゃなくて、善悪を判断する環境下にないんじゃないかな。

フツーじゃない常識が、底辺にある。 

 これに限る。生きる為とはいえ、あれほど善悪の判断がなっていない事を躊躇なくやる。これって、上記のブログにも書いてあるとおり「低学歴の世界」では一般常識的にアウトなものに対して「それは悪だよ」と教えてくれる人が居ないし「それをしなくてもいい方法があるよ」と、別の道を教えてくれる人、つまり、 「自分の視点を大きく変えるような存在 」が周りに居ないと 起こってしまうことなのではないかな?その存在は学歴や貧富は関係ない。

ジャン・バルジャンやエポニーヌの2人はそんな存在がそれぞれいた。だから比較的私の考えの範疇内にいたのだと思う。

ジャン・バルジャンは、「司教」

エポニーヌは「マリウス」 

司教とマリウスの共通点は、「相手とは180°違う視点を持っていた」こと。

司教は「相手を赦す」マリウスは「学問」

それぞれ自分が生きる環境下に転がっていなかった思想や物を持っていたからこそ、司教やマリウスはとてもセンセーショナルな存在であり、自分の考えに対して客観的に見直すきっかけになった存在であったと考えると、そのような存在が周りにいなかったからこそ、ティナルディエ夫妻は全編を通して、色んな意味で何も変わらない人間であったのだと思った。

ティナルディエ夫妻の考えはこれからも実生活を受けて気持ちを落とし込むことは出来ないだろうと思う。けれど「そういう人も世間にはいる」から「私はどうすればいいか」と言うことを考えていけたらいいなと思う。

 

蛇足だけど、ティナルディエ夫妻が登場すると少し緊張がほぐれて笑いが起きる事実を考えると、劇場に居る人達は「高学歴の世界」の人ばかりであり、ティナルディエ夫妻はフィクションの人間でしかないのかなって思えてくる。

 

ティナルディエ夫妻は共感は出来ないけど、自分の視点を見直すきっかけになった存在だったな。

 

最後に

こうして文章にしてみると共感できるキャラクターと共感や理解は出来ないけど胸に引っかかるキャラクターは違うんだなーと思った。

まだ推測でしかないけど、これからの経験によって共感できたり胸に引っかかるキャラクターはどんどん変化していくんだと思う。

その心の変化を楽しめるようにこれからも人生を歩んでいけたらいいな。(急に重い)

 

以上、2019年の私的レ・ミゼラブルの感想でした。

レ・ミゼラブルを観たよ。

2019年レミゼ、9/17大千穐楽だよ!!!ってことで。


レ・ミゼラブルという超超超名作。誰もがしってる作品。

2017年は既に舞台オタクだったし、友だちが観劇してたり、ファン友だちのお知り合いの方が出演していらっしゃったとか色々きっかけがあったはずなのに、

「高いから」「敷居が高いから」って、

おめー、舞台オタクのくせにwwww何初心者みたいな事言ってんねんwwwってツッコミ入りそうな理由でスルーしてたんですが

 2019年。三浦宏規という新たな贔屓が出来たことでその壁をぶち壊してチケットを取りました。

 レミゼを見て思った事。

「一生の内に観てみたい」って人に

「今見た方がいい」って力説できる作品だなって思った。

レミゼは「ジャン・バルジャンの生涯~マリウスの恋愛日記を添えて~

だから、観劇した時の自分がどの年齢で、どの立場(職業や役割)でどんな経験をしたかで全く視点が変わるなーと。

マリウスやエポニーヌ、コゼットといった10~20代前半のキャラ

アンジョラスや学生、市民や娼婦といった20代後半~30代のキャラ

ジャン・バルジャン、ジャベール、ティナルデイエ等の40~60代のキャラに対しての思い入れの度合いって結構変わるんだろうなって。

私は今、20代前半を生きていて、リーダーとして率いることも、何か仕事を与えられてそれを絶対貫き通さなくてはいけないとかそんな事もなくて、やっぱり 10~20代の世界を生きるマリウス、コゼット、エポニーヌの気持ちが1番よくわかった。

というか、正直、それ以外のキャラに対して 親近感や共感が湧かなかった。「なんでそう思うんだろう?なんでそんな選択をしたんだろう?」って。3回見たにも関わらず。

特にジャン・バルジャンに対して全く共感が出来なかった。なんで彼はあのような人生を生きたのだろう?仮釈放証を捨て、脱獄した事を黙っていることは悪であっても、あのまま市長として市民を守り続けた事で何か変わったのではないのか?暴動は起こらず、若者の命が失われる事はなかったのではないのか?と。この今の考えは私が「若者」だからか?そもそもの性格の不一致かは分からない。

 
レ・ミゼラブルの作品性の魅力について。

散々いろんな所で言われていて耳にタコができるわ!って話だろうけど、やっぱり、「名作」と言われる所以が全てに詰まっていたってわかった。

先程も少し言ったけど宝塚やミュージカルって、 「1度見てみた方がいい。」 って良く言われるし、私もよく言う。けれど、そのひとによって作品を選ぶ事が多い。だってお金高いし。1万円する席払ったしキャストが超有名/実力派しか集めてないのに脚本や演出がアレだから1幕で必ず寝る場面があったよ☆っていうミュージカルもあるくらい(某帝劇ミュ) 舞台って相当ブラインドガチャ要素ある。

だけど、レミゼは キャラや作品が刺さらなくても、曲や演出、舞台機構が面白いよ!って言える。人を選ばない。

吉原さんと小野田さんがゲスト出演したラジオレポに「レミゼは完璧なミュージカルだ」*1と書かれているけど、本当にその通りだと思う。完璧。だから何回見ても感動するし飽きない。キャスト、オーケストラ、舞台機構、曲。すべての面が完璧なのに主張しすぎず調和している。だから面白い。

 ただ、「ストーリー知らずにレミゼ観る」のは、やめた方がいいなって思った笑

私は、原作ありのミュージカルであっても、全く予習せずに舞台を観る女なのですが(ただの予習めんどくさがり屋)、

舞台ファン友だちの方に「レミゼ、絶対予習した方がいいよ」と言われたにも関わらず全く予習せずにレミゼを観たんだけど、ストーリー展開が追いつけずに終わってしまった。

ストーリーが分からないからキャラの感情も理解できない。曲も楽しめない。その後チケット2回追加出来たからレミゼの面白さにハマったものの、多分あの1回きりならレミゼの面白さを十分理解出来ずに終わっていたなって。

なので、レミゼ観たいけど観たことないよって人は映画版レ・ミゼラブル、観た方がいいと思います。いや、絶対観た方がいい。

 

今回は帝劇のチケ販時期にレミゼ見る気なくて慌てて取った為たった3回だけでしたが、

毎回年5~6回以上は観てきたいなってレベルで大好きになりました。

そしてレミゼを生涯を共にする作品と決めました。というか自分の人生経験をたくさん積む上で「レミゼをみて自分はどう思うか?」って答え合わせを毎回出来たらいいなーって思いました。


2021年に再演します。

私は確定している事情により2~3回くらいしか行けないのでめちゃくちゃ残念ですが、2年後、私はレミゼに対してどんな気持ちで観れるのか今から楽しみです。

そして、三浦さん。これから1年とちょっとの間で沢山の経験や技術を吸収して、ご縁があったらまたレ・ミゼラブル、出てくれるといいな。

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6/16 マチネ

びっくりするくらいストーリー展開速すぎ+贔屓の動向を追いかけるのに忙しすぎて、脳が疲れた

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8/16 ソワレ

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8/17 マチネ

私の決意文

これは私から未来の私への決意文でもあるから当たり前すぎることを言おうと思う。

 

「誰かのファンになるなら贔屓に絶対迷惑をかけるな」

 

2019年、自分の中で爆発が起こって贔屓が2人増えた。とっても素敵な俳優さんたち。いつもその人が今できる最高のパフォーマンスをくれると確信してファンになった。

そんなタイミングでそれぞれ、ファンの暴走により贔屓が間接的に被害を受ける出来事があった。

別に贔屓が何をしたとかされたとか全然なく、

ただファンの暴走があっただけ。暴走があっただけと気軽に言ったけど、なにか事件が起きて話題になるということは必ず「ファン以外の人もその事件に目を向ける機会がある」ということ。(これはTwitterだから起きる事かもしれないけれど。)

贔屓のそういう事件も結局たくさんの「ファンじゃない人」たちの目に触れた。事件に関係ないことでも贔屓が間接的に色んなことを言われていた。贔屓が活躍する舞台のことについても、関係ないファンたちの事も沢山沢山言われていた。贔屓の性格について話してる人もいた。そして、そういう事件は贔屓=やらかした人 という印象を与えた。

それを実感したのはいつだったか忘れたけど前からお世話になっている舞台オタク友だちに「新しい贔屓が出来た。〇〇さん」と言った時だった。

返ってきた言葉は「ああ、あの事件の人ね」だった。 ショックはなかった。私も贔屓じゃない俳優が同じことをされていたら絶対同じことを言っていたから。

 

「贔屓が迷惑になるかもしれないから」この行動や言動を控えるべきとは思わない。贔屓が考える迷惑行為と私が考える迷惑行為が合ってるとは思えないから。

ただ、「自分の発言や行動により何かが起こった(起こりそうな)時に冷静な対応をする」ために自分の考えや行動よりも何か優先すべきことは何かしらあるんじゃないかなーと。

やっぱりどんな界隈でも「これが絶対的ルール!!!!!これを絶対守らなけりゃいけねえ!!!守らなけりゃお前はファンではない!」ってルールは存在しないし今あるルールが絶対正しいというわけでないけど、今あるルールに反する自分の主張を述べたい時って結局、「自分の推しに対する行動や言動を認めてほしい!」みたいな時に発生することが多いから、その発言や行動が燃えた時、必ず作品や俳優やら誰かしら間接的に被害を受けるわけだし、燃えるといろんな人から否定される (こともある)のだからやっぱり、ぐっと自分の考えや行動を「これでいいのかな?」と考える時間があっても良いのかな?と思った。

あと、何かしら燃えそうだったら一旦「そうですよね、一回考えます」と引き下がることでぐっと論争に発展するリスクが低くなるのではないか?と思う。

 

こんなにタラタラ書いていて何だけども

正直、自分もどうしたらファンとして贔屓に迷惑をかけないでファン活動をしていけるのかわからない。けれど、唯一分かるのは

「公式の注意事項は守ろうな」

ってことです。そこを守らない人はハッキリ「贔屓が迷惑になること」だから。